4月にJ‐style通信を出してから、もう3か月が過ぎました。間が空いたことをお詫びして、新しい通信文をしたためます。
つい先日参議院選挙がありました。学生の皆さんは投票に行かれましたか。私はいつも、「どうせ自分が投票してもたいした影響はない」と思う気持ちと、「個人の1票1票が積み重なって、あの票数になるのだから意味がないなんてことは絶対にない」という気持ちの間で葛藤します。私が投票したかどうかはさておき、学生の皆さんには、ぜひ投票に行っていただきたいと思っていました。若い世代の投票率が低いからです。
NHKの報道によれば(元データは総務省の抽出調査)、前回の参議院選挙では、20歳代の投票率が30.96%だったのに対し、60歳代は、63.58%だったそうです。ちなみに私は60歳代です。18、19歳の10歳代は、じつは20歳代よりも少し高く32.28%です。この数字からもわかるように、このままの状態が続くと、私のような60を超えている人たちにとって都合のよい社会が実現することになってしまいます。いや、もうなっていると言えるかもかもしれません。「利己主義者」とのそしりを覚悟で言えば、私としてはそれでもよいのですが、しかし、これからの社会を支えるのは若い皆さんです。だから、皆さんには、「ジジィやババァに任せておけるか!」というくらいの勢いで投票に参加してほしいと思います。
最近、成田悠輔氏の『22世紀の民主主義』(SB新書)という本を読みました。7月に発刊されたばかりの書籍です。民主主義の制度は、理想的な政治体制として広く認められていますが、私は、哲学や倫理学を学んできて、また、高校で非常勤ではありますが、「倫理」や「政治・経済」を教えてきた人間としても、なぜそれがよいと言えるのかということがずっと気になっています。政治体制の議論は、古代ギリシアのプラトンやアリストテレスの議論にもありますが、そのときから現代にいたるまで制度として成熟してきたと言えるのかどうか、理念として本当に望ましいものなのかどうか、そうしたことが気になって仕方がないのです。
民主主義には、全員が集まって議論する直接民主制もありますが、大人数だと現実問題としては実現不可能です。現代の日本では選挙で代表者を選ぶ形になっています。そうすると、票を集めるために、一般大衆に迎合するというような候補者も出てきます。そうした立場をポピュリズムと言います。それは、とらえようによっては、民意に応えるということでもありますが、本当はどうするのがよいのかということを真剣に考えていないということにもなりかねません。選挙は、つねに、人気投票というようなことになりかねない一面もあって、マスコミで名前の売れているタレント候補が当選しやすかったりもします。
「民意」というのは国民の意思ということですが、その中身はそう明確ではありません。選挙で全員が投票しているわけではありませんので、選挙結果さえも、投票した人の意思が示されただけです。「やはり30%の投票率ではまずいぞ」と思いませんか。
先に言及した成田悠輔氏の本では、選挙に代わる構想が提案されていて、それが無意識的データ民主主義と名付けられています。情報・データに基づく意思決定で政策を決めるようなシステムにしようという発想です。「民主主義のDX化ということ?」と私は思いました。ここでは良し悪しは論じません。関心のある方は本書をお読みください。
令和4年7月20日
学長 林 泰成
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